聖母マリアとベルナデッタ、聖テレーズ、そして南フランスの伝説の聖地を訪れる旅。
聖母マリアが現れ、いくつもの奇蹟が起きたことで世界的に有名な聖地です。
サンクチュエール(聖域)にある泉の水を飲むと病が治るといわれ、病気が治ったと自己申告をした人は、1862年以来6,700人。
そのうち、ルルド聖地当局によって正式に奇跡と66人の人が認定されました。
今も年間600万人もの人々が奇跡を求め、この地に祈りにやってきます。
ピレネー山麓の小さな村が聖地となったのは19世紀のこと。
貧しい少女の前に聖母マリアが出現し、奇蹟が起きたことがきっかけです。
1858年2月11日、貧しい家庭に生まれた14歳の少女ベルナデッタが山で薪を拾っていたところ、聖母マリアに出会います。
そしてお告げの場所を掘ったところ、泉が吹き出し、その水を飲んだ人々は次々に病が治るという奇跡が起こりました。
さらに聖母マリアと13回目の出会いのとき、「罪をつぐなうことと、ここで行列をし、聖堂を建ててほしい」とのお告げを聞き、
今のサンクチュエールが建てられたといいます。
泉をみつけたベルナデッタは、その後35歳で永眠。
しかし、不思議にも彼女の遺体は腐敗せず現在はヌヴェール市(パリから約2時間)にあるサン・ジルダール修道院教会でまるで今でも生きているかのように安置されています。
ベルナデッタが眠る場所(ESPACE BERNADETTE)
ピレネー山麓の小さな村「ルルド」が聖地となったのは19世紀のこと。
貧しい少女の前に聖母マリアが出現し、奇蹟が起きたことがきっかけです。
1858年2月11日、貧しい家庭に生まれた14歳の少女ベルナデッタが山で薪を拾っていたところ、聖母マリアに出会います。そしてお告げの場所を掘ったところ、泉が吹き出し、その水を飲んだ人々は次々に病が治るという奇跡が起こりました。
さらに聖母マリアと13回目の出会いのとき、「罪をつぐなうことと、ここで行列をし、聖堂を建ててほしい」とのお告げを聞き、ルルドには今のサンクチュエール(聖域)が建てられたといいます。
泉をみつけたベルナデッタは、その後35歳で永眠。
しかし、不思議にも彼女の遺体は腐敗せず現在はヌヴェール市(パリから約2時間)にある
サン・ジルダール修道院教会でまるで今でも生きているかのように安置されています。
ベルナデッタが眠るヌヴェール。
サン・ジルタール修道院を訪ねるツアー
聖テレーズが生きた町、フランス第二の聖地
キリスト教徒(カトリック)の方はもちろんご存知だと思いますが、SAINTE THERESE(聖テレーズ)は、フランスでは、ジャンヌ・ダルクにつぐ、フランス第2の守護聖人です。
この聖テレーズが生きた町がリジュー。現在に至るまで多くの観光客が訪れるヨーロッパ屈指の世界遺産で聖テレーズの足跡を辿ります。
聖テレーズ大聖堂はルルドに次ぐ巡礼地として世界各国から信者が訪れるそうです。この大聖堂は、聖テレーズが亡くなった後、1925年に聖人とされた後の1937年7月11日に聖テレーズのために造られました。
また、その周辺には聖テレーズの家、聖テレーズ家族が通っていたサンピエール大聖堂、聖テレーズの遺骨が納められているカルメル修道院など是非とも訪れたいところが点在しています。
有名なシャンソン歌手エディット・ピアフも、ここを訪れて目が見えるようになったと言われています。
イエスの磔刑・復活に立ち会った3人の女性使徒(マグダラのマリア、マリア・サロメ、マリア・ヤコベ)のひとり、迫害を受けながらも南フランスのサント・マリー・ドゥ・ラ・メールに辿り着いた後、それぞれ布教を続ける中、マグダラのマリアは、この洞窟で33年間、瞑想を続けました。
マルセイユから車で1時間、更に徒歩で1時間の小高い山の上にこの洞窟はあります。
深く長い森を抜けると、目の前に険しい岩山が現れ150段の石段を上るとやっと洞窟が現れます。
階段のまわりにはたくさんの十字架、大きな岩の下にはイエスの磔像とその足元にはマグダラのマリア像。
洞窟の入り口にはピエタ像。聖母マリアとマグダラのマリアが、十字架から降ろされたイエスを抱えています。
予想以上に広い洞窟の中は薄暗く、そしてやや湿っています。
大きな岩の後ろには、『悔悛するマグダラのマリア』像!
ひっそりと隠れるようにあり、一人で瞑想生活をしているマグダラのマリアを見ているような気になります。
祭壇の上には思いに耽るマグダラのマリアと、その裏には遺品が祀られています。
長い山道を歩いてこのサントボーム洞窟を訪れる人々は、それぞれの思いを込めて静かにお祈りをしている、とても神聖で神秘に満ちた聖地なのです。
サン・マキシマンは小さな田舎町ですが、その割に大きな町の教会がこのサント・マリ・マドレーヌ大聖堂。
『マリー・マドレーヌ=マグダラのマリア』の意味。
地下礼拝堂にマグダラのマリア様の頭蓋骨部分が聖遺骨として収められております。
教会内は広々として、祭壇部分はとても装飾彫刻の多いことでも有名。
また、教会内にはお店がありマグダラのマリアに関するグッズ等多く販売されています。
この教会の回廊は「ホテル・クーヴォン・ロワイヤル」とつながっています。
聖マグダラのマリアの聖遺骨が祀られる
サン・マキシマンを訪ねるツアー
町の呼び名の意味は”海の聖マリアたち”
9世紀に建てられた町のシンボルである教会の名前は「L'EGLISE FORTERESSE」、教会要塞と呼ばれているそうです。当時は、教会としての役割の他に町の人々を守る要塞の役割も果たしていました。
海賊やサラセン人(イスラム系)たちに、襲われることも多かった南フランスの港町なのです。
イエスの磔刑・復活に立ち会った3人の女性使徒=マグダラのマリア、マリア・サロメ、マリア・ヤコベと、従者のサラ、マルタ、ラザレが、迫害を受けながらも、オールも帆もない小舟で辿りついたのが、サント・マリー・ドゥ・ラ・メール!
ここからそれぞれ布教を続けますが、この地に残ったのは、マリア・サロメとマリア・ヤコベと従者サラ。
このマリアたちが町の名前の由来なのです。この二人のマリアと一緒に残ったサラは、エジプト人で肌が黒かったそうです。
サント・マリー・ドゥ・ラ・メールには、ジプシー(ジタン)が多く住んでおり、このジプシーの守護神となっているのが、この聖サラ。
ここにジプシーが多いのは漁が盛んで、その魚を狙って鳥もたくさんいることから食に困らないのだとか。
聖サラが彼らの守護神となっているのは、肌の色が近いから・・・ではなく、サラが癒しのチカラで、瀕死のジプシーの子供を救ったから、と言われているそうです。